日本医事新報社 No.4453 (2009年8月29日)
基礎医学から

リズム運動がセロトニン
神経系を活性化させる

東邦大学医学部医学科統合生理学教授
有田 秀穂(ありたひでほ)

 はじめに

 セロトニン(5-HT)神経系への関心は、近年うつ病治療薬として選択的セロトニン再吸収阻害剤(SSRI)が汎用されるようになり、また、片頭痛治療薬としてトリプタン(5-HT1B/1Dアゴニスト)が使われるようになって、急速に高まってきた。セロトニンという物質が同定されたのは、50年以上も前になるが、その名前(serotonin)の由来はserumとtoneを組み合わせたもので、血管の緊張を高める働きから来ている。それは今日でも片頭痛の病態との関連で注目されている。一方、脳内にもセロトニンが同定され、その役割は当初、睡眠と関連づけられた。しかし、その後の研究で、睡眠ではなく、むしろ覚醒に関連する神経系として確立されてきた。覚醒システムに関連するとは言っても、その活性化因子はユニークで、呼吸、歩行、咀嚼などのリズム運動によって賦活される。私たちは、このセロトニン神経系の特性に着目して、呼吸のリズム運動として坐禅の呼吸法を、歩行のリズム運動としてウオーキング、自転車こぎを、咀嚼のリズム運動としてガム噛みなどを取り上げて研究してきた。

 1. セロトニン神経系の特性

 (1)形態的特性

 セロトニン神経系は、脳幹正中部の縫線核群に数万個の細胞体として存在し、その軸索は大脳皮質から脊髄まで広汎な脳領域に投射して、さまざまな脳機能に影響を与える。中脳背側縫線核にあるセロトニン神経は上行性に投射して、大脳皮質全体、側坐核や前脳基底部などの大脳辺縁系、視床下部の諸核(視交叉上核など)に投射して、覚醒、衝動的攻撃行動、依存症、概日リズム調節などに影響を与える。正中縫線核のセロトニン神経も上行性に投射して、海馬における記憶情報処理に影響を与える。橋・延髄に分布するセロトニン神経は下行性に投射するが、大縫線核のセロトニン神経は内因性痛覚抑制系として働き、延髄縫線核群のセロトニン神経は脊髄の運動ニューロン(姿勢筋・抗重力筋支配)や交感神経節前ニューロンに影響を与える。

 (2)機能的特性

 セロトニン神経の自発発射様式には次の特徴がある。覚醒時に数ヘルツで規則的なインパルス発射が持続し、徐波睡眠になると発射がまばらで不規則となり、レム睡眠では完全な発射停止となる。すなわち覚醒状態を演出する神経である。
 覚醒状態でセロトニン神経活動をさらに増強させるのは、種々のリズム運動である。動物実験では歩行・咀嚼・呼吸のリズム運動がセロトニン神経のインパルス発射を増強させることが明らかにされている1)。私たちは、ヒトのリズム運動として、坐禅の呼吸法、ウオーキング、自転車こぎ、ガム噛みなどに着目し、それらがセロトニン神経を活性化させることを検討した。ただし、ヒトを対象にしているので、セロトニン神経の活動を直接に記録することは出来ないので、血中セロトニン濃度の増加によって間接的に評価した。その理論的根拠を明らかにするため、初めにラットの動物実験データ2)を紹介する。

  (3)脳内セロトニン濃度と血中セロトニン濃度

 ラットの脳内にマイクロダイアリシスプローブを挿入して、脳細胞外液セロトニン濃度を連続測定しつつ、セロトニン前駆体(5-HTP)を静注し、脳内セロトニンを増加させた。そのような状況下で採血して血中セロトニン濃度を測定した。ただし、血液中のセロトニンは血漿中に遊離型で存在する割合はごく僅かであり、大部分は血小板に取り込まれて存在する。したがって、血小板を含む全血中のセロトニン量を測定しなければ、脳由来のセロトニン増加を確認できないことになる。なお、臨床検査で通常測定されるのはPPP (Platelet Poor Plasma)におけるセロトニンであり、この場合には血小板中のセロトニンが含まれないことになる。全血中セロトニン測定には特別に処理した独自の方法を用いた。そのような配慮のもとに評価すると、脳細胞外液セロトニン濃度が増加する時に全血中セロトニン濃度が増加する結果が得られた。
 セロトニン合成酵素を持つ臓器は、脳以外に消化管、腎臓、肝臓などがあるので、それらの臓器を外科的に除去したラットで同様の実験を繰り返した。その状況でも、前駆体投与で全血セロトニン濃度が増加したので、脳由来のセロトニンが全血セロトニンを増加させたと結論した。
 血液脳関門は物質の輸送を厳しく制限しているが、2002年にラットの脳血管内皮細胞にセロトニン・トランスポーター(5-HTT)が発見された。それまではセロトニン神経の軸索末端だけに5-HTTの存在が知られていた。脳血管内皮細胞にも5-HTTが見つかったということは、脳内に分泌されたセロトニンは、神経終末に再取り込みされるだけでなく、血管側にも積極的に排泄させる機構がある、ということになる。
 なお、体内セロトニン総量の90%近くを占める消化管が全血セロトニン濃度の決定に重要であるという憶測が以前からあった。しかし、消化管の蠕動運動を亢進させる腸内セロトニンは、大部分がその場で代謝産物(5-HIAAなど)に変換され、一部漏れ出たセロトニンは肝臓で代謝されると考えられる。少なくとも腸管の血管内皮細胞には5-HTTが存在していないので、積極的にセロトニンを血中に排泄させる機構はないと言える。また、食後に血中セロトニン濃度が増加するという報告はこれまで存在しない。
 その成績を踏まえて、坐禅の呼吸法、読経、ヨガ、太極拳、ウオーキング、自転車こぎ、スクワット、ガム噛みなど、セロトニン神経を賦活させるリズム運動において、その前後で全血セロトニン濃度を比較したところ、それらすべてのリズム運動において有意に増加する結果を得た。すなわち、これらのリズム運動はヒトのセロトニン神経を活性化する行動であると私たちは判断した。

 2. 呼吸とセロトニン神経

 (1)坐禅の呼吸法と脳波

 私たちは坐禅未経験者を対象に、丹田呼吸法(自己の腹筋筋電図を見せるバイオフィードバック法)を実施させて、α波の出現を観察した。α波(8-13Hz)の中でも高周波のα2成分(10-13Hz)が有意に増加し、θ波はむしろ減少、β波には有意な変動が認められなかった。
 覚醒時にα波が出現することで注意すべきポイントは、閉眼すると誰でも直ちにα波優位の脳波になることである。そこで、私たちは、閉眼状態においても呼吸法を実施してみた(なお、既述のデータは開眼状態)。図1は1分毎の脳波パワースペクトラム解析である。閉眼状態であるので、最初からα波の高いピークが認められている。そのα波(低周波のα1成分に相当)は呼吸法7分位で消失し、代わって呼吸法4—5分で、α2成分が新たに出現するようになり、次第に増強している。すなわち、丹田呼吸法は、閉眼によるのとは違う脳内経路を介して、脳波および大脳皮質の覚醒状態を変えていると考えられた。

図1

 (2)二つの賦活系

 覚醒システムとしては、Magounらによって明らかにされた脳幹網様体賦活系がよく知られている。脳幹網様体→視床非特殊核→大脳皮質の経路である。外部から入力されたさまざまな感覚信号が、この経路を介して大脳皮質全体を賦活化し、覚醒状態を形成させ、脳波を速波化する。閉眼状態とは、最大の感覚信号である視覚入力が遮断されることであり、この遮断が脳波を徐波化し、α波を出現させると考えられる。閉眼状態が遷延すると、やがてθ波、δ波と徐波化が進行し、睡眠に移行する。なお、この経路の起点となる脳幹網様体の構造としては、青斑核ノルアドレナリン神経が相当すると考えられる。
 もう一つの賦活系がJonesらによって10年ぐらい前に同定された。脳幹網様体→前脳基底部→大脳皮質の経路である。前者を背側経路、後者を腹側経路と区別する(図2参照)。この腹側経路の中継核である前脳基底部はAlzheimer病に関与するコリン作動性神経が分布する領域である。ここにセロトニンを局所投与すると、脳波が徐波化することが動物実験で示されている。すなわち、背側縫線核セロトニン神経が活性化されて、前脳基底部でセロトニン分泌が増加すると、そこから大脳皮質へ投射する神経が活動抑制となり、脳波が徐波化する(α2成分の増加)と考えられる。本研究で示したとおり、坐禅の呼吸法はセロトニン神経を活性化させるので、それが腹側経路を修飾して、徐波すなわちα2成分の増加をもたらすものと解釈される。

図2

 (3)気分変化

 このような機構で大脳皮質活動を修飾する坐禅の呼吸法は、どのような心理的変化をもたらすのか。この点についてPOMS心理テストを坐禅の前後で実施して検討した。30項目の質問項目を6つのカテゴリーに分類した成績では、緊張・不安やうつなどのネガティブな気分尺度が有意に改善し、元気度(vigor)のポジティブな気分尺度が上昇傾向を示した。緊張・不安が緩和されるだけではなく、元気が出ると言う点で注目された。

 (4)前頭前野の活動変化

 さらに、坐禅の呼吸法を行っている時に、前頭前野の活動にどのような変化が現れるかについて、多チャンネル近赤外線分光分析装置(NIRS)によって解析を行った。その結果、眼窩に近い腹内側部の前頭前野にOxyHb(酸素化ヘモグロビン)の有意な増加が認められた。前頭前野の背側外側部(ワーキングメモリーの部位として知られる)には特に増加が認められなかった。この腹内側前頭前野は「心の理論」あるいは共感において重要な役割を担うことが明らかにされている。この領域の活動低下は、うつ病の病態と相関するという報告があり、注目される。したがって、上記のネガティブな気分尺度の改善は、腹内側前頭前野の活動増加と相関すると考えられる。

 3. 歩行のリズム運動と咀嚼のリズム運動

 ウオーキングおよび自転車エルゴメーターにおいても全血セロトニン濃度が有意に増加するので、歩行のリズム運動もセロトニン神経を活性化する。自転車エルゴメーターのデータでは、その知見に加えて(1)α波の増加とθ波の減少(2)ネガティブな気分尺度の改善とポジティブな気分尺度の増加、(3)腹内側前頭前野に限局したOxyHb(脳血流)の有意な増加も観察された。すなわち、坐禅の呼吸法で認められた現象と同じ諸変化が認められた。
 さらに、咀嚼のリズム運動としてガム噛みの実験を行い、同様の変化を観察した。ガムを20分間しっかりと噛み続けると、全血セロトニン濃度が有意に増加し、心理テストでは緊張・不安および抑鬱のネガティブな気分尺度が改善し、腹内側前頭前野に限局したOxyHbの増加が認められた。したがって、咀嚼のリズム運動も、呼吸のリズム運動および歩行のリズム運動の場合と同様に、セロトニン神経を活性化させて、ユニークな覚醒状態、ネガティブな気分の改善を引き起こすと言うことになる。

 まとめに代えて


 最近急増しているうつ病の病態の背景に、セロトニン神経の障害(セロトニン欠乏脳と私は呼ぶ)があることは、SSRIが治療薬として汎用されていること、および、うつ病で自殺した脳の剖検結果から明らかである。一方、最近の軽いうつ病では必ずしも薬物治療が奏功しないケースも報告されている。私たちの基礎研究が示したように、セロトニン神経の賦活には呼吸・歩行・咀嚼の各種リズム運動が有効であり、それらは覚醒や気分の改善を確実に出現させる。したがって、呼吸法やウオーキングなど日常生活の工夫が、軽いうつ病の代替え療法として役立つものと考えられる。今後の検討が望まれる。

 文献

1 有田秀穂:脳内物質のシステム神経生理学:精神精気のシステム神経生理学; 「セロトニン神経系」 中外医学社 2006年
2 Nakatani Y., et al.: Augmented brain 5-HT crosses the blood-brain barrier through the 5-HT transporter in rat. Eur J Neurosci 2008; 27: 2466-2472.
3 Fumoto M., et al.: Appearance of high-frequency alpha band with disappearance of low-frequency alpha band in EEG is produced during voluntary abdominal breathing in an eyes-closed condition. Neurosci Res 2004; 50:307-317
4 Mohri Y., et al.: Prolonged rhythmic gum chewing suppresses nociceptive response via serotonergic descending inhibitory pathway in humans. Pain 2005;118:35-42
5 有田秀穂:セロトニン欠乏脳 NHK出版(生活人新書)2002年